パンバス見て。

うまくネタバレを隠すように上手に勧めるスキルはないので、ただただ裏紙に擲り書き。本当にとにかく見て。見てほしい。それだけ。だから書きなぐったけど、別に読む必要はない。読む前に、見てくれ。

 

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 映画館で映画を見ること自体自分にとってはわりと珍しい。のにわざわざイオンシネマ(片田舎にしかない)にまで足を運んで新作の邦画を観に行ったのは、元乃木坂46深川麻衣さんと、ハイローやら『漫画みたいにいかない』やらで好きになっていつの間にかANNまで聴くようになった三代目J Soul Brothers山下健二郎さんが出演しているからという、極めて俗な理由だった。けれど映画館を出る頃には、俳優がどうとかじゃなく、あぁ。良い映画を観たなぁという気持ちになれたので、少なくとも知り合いの人間には観てもらいたい。

 

俳優について

 俳優がどうとかじゃなくと言っておきながらも、観に行ったきっかけなのでやはり注目してしまう。

 

 壮大なスケールでもなければ急激な展開があるわけでもないし、明確な答えも明示しないこの映画は、下手な作り方や演じ方をするときっととんでもなく退屈なものになるんだろうなぁと、当然映画を作ったこともなければ、あんまり数多く見てきたわけでもない自分でも分かる。それでも約2時間、日常に寄り添うリアルな映画を退屈もせずに見れたのには、一つに深川麻衣さんの演技にあると思う。

 

 アニメみたいに心情を吐露するようなナレーションもないし、変わった恋愛観(と言いつつ誰しも何となく思わないでもない、と思うんだけど)を持ち何を考えてるのか分かりづらいふみだけど「変わり者」になりすぎないのは、リアクション一つ一つの目線から感情が伝わってくるからだ。分かりやすすぎるくらいコミカルにリアクションをされたら、淡々と心地いいペースで進むストーリーの邪魔になっていただろう。特に、最初に居酒屋でたもつの話を聞いている時の、相手にはバレないくらいに動揺してる感、凄かったです。あと、こんなこと言っちゃったらもう後に幾ら書き連ねても説得力も何もなくなっちゃうんだけど、仕事終わりにパンをもぐもぐしながらぼんやり営業所で洗車されているバスを眺めるあんな顔の女がいたら、もうそれだけで最強じゃない???画力が強すぎる。

 

 たもつを演じる山下健二郎さんの演技も凄く良かった。自分の中では、ハイローのダン・漫画みたいにいかないの荒巻といった、コミカルで、人情に厚くて、基本バカ。という役柄の印象しかなかった山下さん。似たベクトルではあるんだけど、この映画ではどこか憎めなくて、一途で、時折バカ。これは山下さんの良さが最大限出つつ、映画の良さも最大限引き出している。いや、だって、たもつ、冷静に結構ヤバい奴じゃん??こんな役です。って文章で書こうと思って色々書き出してみたら、相当なクソサイコパス男だなってなったんだけど、全然そんな感じの印象を映画から受けないのは配役の妙という奴。更に、ふみがたもつを好きな大きい要因にあるであろう、たもつのなんとなしに出る「孤独感」も山下さんが演じるからこそ、ジメッとしていないし、絶妙です。

 

市井ふみ

"私をずっと好きでいてもらえる自信もないし、ずっと好きでいられる自信もないの"と言うけど、言葉のウェイトは前者に大きくかけられているような、そんな印象。絵を諦めた理由は「自分じゃなきゃ描けないものなんて無い」と気づいてしまったから。特別な存在じゃないという意識は恋愛観に影響し、ずっと好きでいてもらえるような特別な存在じゃないと感じている。でも別に極端に自信がない人ってわけじゃないし、周りに比べて劣ってると思ってるような感じでもないってのが凄くリアルだと思う。自分は特別な人間じゃないし、それと同じように多分周りの人間もそう特別な人じゃないだろう、なのに何故ずっと好きでいるとか言えるのだろうか、と。漠然とそんな疑問を抱いていたふみだが、高校の同級生さとみや、初恋の相手たもつ、親密だったが最近は会っておらず動向の知らなかった、そんなに才能ある特別な人間でもないはずの彼らもまた、誰かにとって特別な人間になっている・誰かを特別に想っているということを知る。このことがふみを大きく動揺させる。こんなストーリー、こんな動揺、映画というスケールだと小さいのかもしれないけれど、細かい演出が、この動揺を観客にリアルに伝えてくる。

 

朝3時半に起きて出勤し夕方には退勤する、火曜日は定休日で、毎日緑内障の目薬を差すルーティン。たもつと再会し飲みに出かけると、飲めない酒を飲んでしまったり、差さなくてはならない目薬を差すのも忘れて妹に差してもらったりして(なんて脳に良いシーンなんだ!!全国の茂木健一郎スタンディングオベーション!!!)日常を崩される。妹にオシャレな服を見繕ってもらってさとみとたもつと会おうとするも、急な用事でたもつが来れなくなってしまったので、

たもつと2人で後日ドライブに行く時には同じコーディネート。言葉では、あるシーンまではあんまり好意を伝えないけど、行動は終始一貫してベタ惚れなの可愛いかよ。

トップスが同じだけでコーデは違いました.(2018/6/3 加筆修正).

 

湯浅たもつ

ふみはバスの車内でたもつに「寂しくありたい」と言う。たもつに好意を寄せるのは、彼がまさしく寂しい人に映るからかもしれない。本人は人に囲まれていたい、と言うし一途に元妻を想うものの...という感じ。劇中で印象的なバスの洗車シーンや、駄菓子屋跡の更地で立ち止まるシーン、実家も潰れて更地になっているとか色んなバックボーンを含めて、孤独で寂しいという印象を与えてくる。極め付けは、寝ているたもつを描こうとして中断しメモに書き残したふみの"Alone Again." Gilbert O'SullivanのAlone Again(Naturally)は、おそらく多くの人が一度耳にしたことがあるような有名な曲(私に取って、めぞん一刻で印象深いからってだけなんでしょうか)で、穏やかな曲調だが、歌詞はかなり寂しく孤独な男の物語。そんな歌の歌詞をたもつに当てはめているんだとしたら、ふみはなかなか残酷な女でやんす...

 

1回目見た時、パン屋の名前がNaturallyって全然気がつかなかった...(2018/6/3 加筆)

 

孤独の発明

観客の想像を大いに膨らませるコインランドリーのシーンで、ふみが多くの『孤独』にまつわる本が置かれた本棚から手に取ったのはポール・オースター著『孤独の発明』。自分もニューヨーク三部作読んで筆者の文の構成に惹かれ、高校生くらいの時にそれよりも初期の作品を読もうと思って手に取ったのだが、三部作とは打って変わって自叙伝的作品でとっちらかった文章だな...よくわからん。と放り出してしまった記憶。父という存在の芯の無さに、どんなに親しい人間にでも常に何かを演じていて本当の父とは一体何なのか。みたいなことを追いつづけて結局訳が分からなくなった!!みたいな話だったような気がする(読み手の理解力が欠如してるだけです)。 相手の本質を知るなんて...っていう話だとしたら、映画のエンディングにもまた、繫がってくる。ふみは、この本を読み、何を思ったのだろう。

 

映画の最後のセリフ、本質は、その人の日常のことで、ふみの朝の景色も、たもつのバスの洗車も、本人にとっては日常だけど互いには非日常で魅力的に見える。この本質を知って自分にとっても日常となってもなお、魅力的だと思えるのなら、という話なのかなと2回目を観て思った。それが付き合うとか結婚するとかは、また別の話として。(2018/6/3 加筆)

 

 

あぁ...擲り書いてるうちに、インプットされたあの素晴らしい映画が、自分の駄文によってどんどん陳腐なものに成り下がってアウトプットされてしまっているような気がしてきました。とにかく見てくれ。それだけだ。