乃木恋カフェ セブン・ストーリーズに周りのオタクがあんま騒いでなくて悲しいという話。

元はアニメやらゲーム好きで声優のオタクを経ているので、ソシャゲっていうのには縁深いはずなんだけど、どうもああいうゲームは苦手で続かない。

 

だったはずなのに、何故かかれこれ1年くらいは続いている(他人にとっちゃ大したことないんだけど、個人的には結構衝撃的なんです。)乃木恋というソシャゲ。まぁ良くあるソシャゲの、カードが乃木坂46のメンバーっていうような感じ。

 

本編のストーリーの、「別にこの子のことそんなに知っちゃないけど、少なくともこんなセリフは言わんやろ」感が一周まわって面白いとかそういう半分バカにしたような感じで続けてきたんだけど、今セブンイレブンとのコラボ企画で開催されている、セブンイレブン店内においてるポップをカメラで読み込むとチケットが手に入り、そのチケットで限定のムービーを見れるというイベントで、わりと手のひらを返したように乃木恋のことを好きになっているし尊敬し始めている。

 

ポップを読み込むと必ず、動画をみれるチケットが手に入り、また、抽選でセブンイレブンのホット/アイスコーヒーが当たるようなイベント。コーヒーを売り出したいみたいで、イベントムービーもカフェを舞台にした乃木坂46メンバーのショートドラマになっている。ドラマは1,2期生のメンバーと、3期生のメンバーで先輩後輩の2名が1組となり1組につき2つのムービー(前後編に分かれているだけ)を見ることができる。

 

乃木恋って、まぁ昔懐かしのギャルゲ的で、主人公はプレイヤーという1人称視点でストーリーが繰り広げられて行くので、ムービーつってもNOGIBINGO!の妄想リクエストみたいな、見てるこっちが恥ずかしくなってくるようなものになるんじゃないかと思ったら大間違い。監督に山岸聖太さんを迎えてちゃんと作られている。乃木坂的には、「別れ際」、「シークレットグラフィティー」、「あの教室」、「ないものねだり」、「逃げ水」のMVで有名な方。個人的に「あの教室」と「逃げ水」のMVはめちゃめちゃ好きで、スペースシャワーの山岸聖太特集でちらっと出た逃げ水の設定資料集が読みたくて読みたくて仕方がない。売ってくれ。

 

乃木恋ムービー、というイベントは以前にもあったけど、その時と今回で違うのは、恋バナをするムービーだけではなくて、「先輩に恋(?)してるムービー」があること。

 

待ってくれ、待ってくれよ、「なんだただの百合厨か」ってブラウザを閉じるのをやめてくれよ。そりゃあ確かに最近でも、「あの娘にキスと白百合を」とか「やがて君になる」とか「将来的に死んでくれ」とか(これはちょっと違うか)、そういういわゆる百合漫画見たいなものは好きだけど、だからといってすぐに「響け!ユーフォニアムは最高の百合!!!」とかそういうアレなことを言うわけじゃない、そういうオタクじゃないことだけ察してほしい。もしかしたらこれは、「他の人には私の悩みは理解されないっていうありふれた悩みを抱えたメンヘラ」みたいなどうしようもなく痛い感じなのかもしれないが。

 

ただ、これまでの乃木恋のフォーマットみたいに「メンバーから私(というてい)の感情」というマジで空虚にしかならないものとは違って、感情がメンバーからメンバーなので、"観れる"ムービーになっている。っていう話で。とりあえず5/20現在公開されているムービーの中でそういったものは、若月/梅澤の『好きになったら』と齋藤/岩本の『POSITIVE』であり、まぁ他のムービーも含めて良きものばかりだけど、ここでは『POSITIVE』について駄文を書き汚していく。山岸聖太監督といえば乃木坂では特に「シュールな映像」を撮ると言われがちだが、それだけでは済まない要素と、余白がある。

 

EPISODE4『POSITIVE』

齋藤飛鳥(大学生)

文学系少女。昔はエッジが効いていたが、最近はちょっとだけ丸くなった。

自分に懐いてくれる対象を愛おしいと思うようになったが、その感情がどこからくるかはわかっていない。

無邪気で明るい蓮加を可愛がるが、素直に言葉で感情表現ができない。

 

岩本蓮加(高校生)

まだあどけなさが残り、無邪気で悪気がないが、たまに毒を吐く。

学校が終わるとすぐに飛鳥を呼び出し、飛鳥の匂いを嗅ぐと落ち着く習性を持っている。

ちゃん付けで呼ばないとふてくされる。からかわれると拗ねる。

 

という人物紹介。

 

ムービーは、齋藤飛鳥の本のエピローグのような語りとアンビエントなBGM、アップで齋藤飛鳥が映し出される。文学系少女なのか、村上春樹系少女なのか、森見登美彦系少女なのか、まぁ知ったこっちゃないけど、ちょっとアレな語り口調で圧倒的な作画の齋藤飛鳥がそれはそれはドアップで途中本と、最近飲めるようになったコーヒーを挟みながら、40秒近く。

 

例えば今私が突然新海誠のような作画力を手にしたら、多分渋谷の早朝を、青みがったような色で1,2分意味もなく描いたような映像を作ると思うんだけど(ブルーピリオドめっちゃ良い漫画ですね)、当然そういうことは起きないし、でも映像監督は、出演者という作画を手に入れられるわけだから、なるほど齋藤飛鳥という作画が手に入ったらドアップで長時間映すよなぁ。

 

一人、カフェで本を読みながらコーヒーとバニラシェイクを嗜むのが好き、という内容の語りから、BGMが一旦止まり、離れて俯瞰で、岩本が齋藤にもたれかかる場面に切り替わる。時折もたれかかる姿勢も切り替わり、長時間もたれかかってる様子。一人が好きだったはずなのにいつからこんなことに。

 

周りにも変な目で見られてるよ、と齋藤が諭すと、「あいつらは敵だ」と岩本。その感じは、設定高校生というよりは中学生では...?と思いつつも実際問題岩本蓮加ちゃんは現実では中3なので良し!!(現実とフィクションの区別が付かない人) 厨二っぽい雰囲気に引くでもなく、「私もこんな感じだったのだろうか」と、少し丸くなったという齋藤は思う。

 

トイレで席を離れる岩本、その間にまた齋藤飛鳥のアップ!!もたれかかられて少し凝った肩を軽くほぐす!!!それだけの映像が圧倒的作画で観るに耐える映像になっているの、すごくないっすか。齋藤飛鳥さんの首が、偉い。

 

トイレから戻ってきて、今度はおもむろに肩を組んでくる岩本に、辛抱たまらず、「可愛いねぇ〜可愛いねぇ〜」とムツゴロウスタイルで愛でる齋藤飛鳥...という妄想から一転、「というようなことが私にはできない」と素直になれず肩に組まれた腕を振りほどき、齋藤は、広いU字型の座席の、岩本から離れた対面に移動する。少しがっかり蓮加ちゃん。

 

注文をするため店員を呼び、そんながっかり蓮加ちゃんが本当は可愛くて可愛くて仕方がない齋藤はメニューの一面全部を蓮加ちゃんのために注文する...という妄想から一転、コーヒーのおかわりを注文。バニラシェイクを飲む。

 

一人が好きで、少し妄想気味だが引っ込み思案な齋藤飛鳥は、特に喋るわけではないけどひっつき虫な岩本蓮加のことがわりと可愛くて仕方がないので、この感情は一体...という前編ムービー。

 

同じアンビエントなBGMと、おかわりしたコーヒーが届いているところから後編は始まる。

 

不審な行動をする岩本に、何してるのと齋藤が呼びかけるが、蓮加ちゃんと呼んでくれるまでは無視。ストローの袋?をバラバラにちぎって、それを「解体」と呼ぶ思春期/厨二真っ盛りな岩本に、否定もせずに「良いと思うよ」と言ってくれる齋藤。それに居心地の良さを感じて岩本はニンマリ。

 

「解体」したその紙を、フーッと齋藤の方に吹きかけ、まるで花びらの吹雪が舞っているようだ、とその綺麗な様を満足げにゲラゲラ笑う無邪気な蓮加ちゃん。まぁそんなことは齋藤は知らず、ただ紙を吹きかけられてゲラゲラ笑われるという嫌がらせをされただけなので、仕返しに、クラスの男子に岩本の写真を見せたら可愛いって言ってたよ、とからかう。

 

自分の口から自分の意見として岩本に「可愛いねぇ」と愛でることの出来ない齋藤は、ここぞとばかりに仮想のクラスの男子の口を借りて「可愛い可愛い」と連呼。知らない男から「可愛い」と言われてもあんまり嬉しくないというかむしろ嫌な岩本。もうその表情は!!!齋藤飛鳥さんのことが好きなやつの!!!顔やんけ〜〜〜〜〜〜!!!!!

 

「まぁ全部嘘なんだけど」とサラッと明かしたところで、素直に言えない自分になんだかばからしくなってきて、齋藤は飲めるようになったコーヒーに再び口をつけて「苦!!」とヘラヘラ笑う。結局、コーヒーが飲めるようになったというのもカッコつけで、素直に飲まなけりゃ良いものを、バニラシェイクを挟み苦味を誤魔化しつつ飲んでいる。

 

そんな苦いコーヒーを岩本にも勧めてみる、すると岩本は、素直になれずバニラシェイクと交互に飲む齋藤には驚きの、バニラシェイクにコーヒーを混ぜて飲むという行動に出る。恥も外聞もない。一口で飲み干して無邪気にニンマリと「飲んだ。美味い。」

 

過去の自分に似た、思春期の尖ったような部分がありつつも、齋藤にはない素直で可愛らしい部分があり、そんな岩本に心奪われ、一緒にいることが齋藤にとって、「不快ではなくなく、ない」というエンディングまで素直じゃない齋藤飛鳥さんなのであった。

 

あぁ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!最高ムービーだぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!

知ると楽しい蒸留酒⑴

 

端書き

 お酒は好きだろうか。若者の酒離れと言われる一方で、ウイスキーは空前の大流行である。こうも流行していると、何もおじさんばかりがウイスキーを飲んでいるというわけではなく、若年層にも少なからぬ数ウイスキーの沼に片足突っ込んでる人間がいるはずで、かく言う私もその類だ。

 当然、体質としてアルコールを受け付けない人もいるが、周囲の同世代で酒を飲まない人に話を聞くと、『酒というより、酒の場が好きでない』という意見がよく出る。騒がしかったり、酔っ払って粗相をしたり、恥ずかしくないのかと。個人的には、そういうお酒の飲み方が楽しい時もある。翌日に後悔と二日酔いを残したとしても、その日に壊れたい時もある。ただ、酒を飲むということは必ずしも騒ぐこととイコールでは結びつかないということを知ってほしい。もしかすると、騒ぐのが得意でなくどちらかというと内向的でオタク気質の方が、向いている酒かもしれないと思う時もある。新年度、新たに大学生になる人たちは酒を飲む。特に度数の高い蒸留酒を、自分たちも大して飲み方も知らない1,2年早く生まれただけの"先輩"とやらに飲まされる。酔いつぶれ、トラウマを残して酒から離れていく。ラフに飲むことを是としない考え方も如何なものかと思うが、蒸留酒は静かにゆっくりと味わうに耐えうるだけの質と文化と歴史がある。

 この記事では、主な蒸留酒について横断するように整理していきたい。比較して知ると、ちょっとの製法の違いで味わいが大きく異なったりすることがわかる。自分のドロー系ソフトの知識のなさや資料不足から、事細かに画像を貼りわかりやすく説明することはかなわなかった。興味があったら適宜検索をしつつ補完して欲しい。

 

酒の製法

 とその前に、そもそもお酒とはどのようにして作られているのか。その製法の分類について整理しておく。

醸造

 酒は言わずもがな、アルコールが入っていることが条件である。飲料とされるアルコールが生まれるのは1種類の方法しかない。これだけ多種多様な酒があって、この事実は個人的には結構驚きで、なんだか感動した。原料に含まれる糖分を酵母によって発酵させることでしか生まれないのだ。これを醸造と呼ぶ。醸造によって生まれる酒の中で飲料として広く親しまれているものには、ワイン、日本酒やビールがある。アルコール発酵を行う酵母が、自分の生み出したアルコールによって死滅してしまうため、どれも比較的アルコール度数は低い。度数が低いので食事と合わせて楽しめて、食中酒として広く用いられている。

蒸留酒

 蒸留酒は、この醸造酒を蒸留することによってアルコール度数を高めたものである。蒸留とは混合物を構成する物質の沸点の違いを用いて、蒸発・分離・凝縮の過程を経て混合物を分離する方法である。高校化学くらいでも実験で行ったことが1度はあるかもしれない。料理をする際に酒を使って風味付けをすることもあるように、アルコールは水よりも沸点が低く(人が生活するような気温気圧下では約78℃)、醸造酒を蒸留することによってより度数の高い酒を精製する。

混成酒

 以上の2つの方法によって生まれた酒を元に、果実、ハーブや香辛料を加えたもの(リキュールや梅酒など)や、醸造酒を醸造する過程で蒸留酒を加える酒精強化ワイン(シェリー酒、ポートワインやマデイラワインなど)がこれにあたる。雑に言えば、醸造酒と蒸留酒以外のことを指す。

 

蒸留酒の製造

製造過程

 前節の話を踏まえ、蒸留酒の大まかな製造過程をまとめると下図のようになる。

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たったこれだけの過程だが、原料の違い、糖化のさせ方の違い、発酵に用いる槽の違いや蒸留の方法、貯蔵・熟成のさせ方、つまり全ての段階においてそれぞれの蒸留酒、またそれを製造する蒸留所独自の工夫があり、千差万別の味・香りが生まれる。

 

単式蒸留と連続式蒸留

 長い前置きになってしまっているが、本題に入る前に簡単に蒸留の方式に触れておきたい。

 モルトウイスキーやブランデーなど原料の香りや個性が強く出るようなタイプは単式蒸留という手法によって蒸留されている。これは単純に、蒸留という行程を一回行う蒸留器を用いて蒸留するということだ。単式蒸留器はポットスチルと呼ぶ。ウイスキーには以下に貼るような玉ねぎ型をしたポットスチルが多い。

山崎蒸留所

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宮城峡蒸留所

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Jamesons蒸留所前(改修工事中で蒸留所前の以前使用していたポットスチルしか見れなかった)

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ブランデーの一種であるコニャックには、シャラント型と呼ばれるポットスチルが用いられる。(蒸留所見学には行けていないので参考画像無)

 一方で、グレーンウイスキーウォッカなどの多くは連続式蒸留機を用いて一回蒸留機に入れる間に連続的に蒸留を行う。原料の風味は薄くなってしまうが効率的にアルコール度数の高い精製を行うことができる。比較的新しく機械的な手法であるため、日本の酒税法では連続式に関しては蒸留"器"ではなく"機"で記される。

 

様々な蒸留酒

世界中のたくさんの国で、蒸留酒は作られている。代表的なものを、表でまとめる。

総称 種類・名称 原料
ウイスキー モルトウイスキー 大麦麦芽
グレーンウイスキー 小麦・ライ麦・とうもろこしなど
ブランデー コニャック ぶどう(ワイン)
アルマニャック
フィーヌ
マール ぶどう(ワインの搾りかす)
グラッパ
カルヴァドス りんご
アップルブランデー
キルシュヴァッサー さくらん
スリヴォヴィッツ すもも
焼酎 甲類 米・麦・芋など
乙類
ウォッカ ウォッカ 麦・ジャガイモ・甜菜など
ジン ドライジン 小麦・ライ麦などの穀物
ジュネヴァジン
シュタインヘーガー ジュニパーベリー
メスカル メスカル アガベ
テキーラ アガベ・テキラーナ・ウェーバー・ブルー
ラム Rum さとうきび
Rhum
Ron

 ウイスキーは産地による分類もできるし、その方が自然に説明できるような事柄も多いが、ここでは他の蒸留酒との比較のため原料による違いで2つに大別した。

 この表を見ると「なぜ同じ原料を使っているのに、種類・名称が異なるものがあるのだろう」という疑問が生じるだろう。コニャック・アルマニャック・フィーヌ、マール・グラッパ、甲類・乙類、ドライジン・ジュネヴァジン、Rum・Rhum・Ronの違いとは?とはいえ、これらは総称自体は同じ分類に属するもの同士の違いに過ぎない、後に詳細に記述しよう。もっと気になるのは、麦などの穀物を原料とする蒸留酒が、(グレーン)ウイスキー・焼酎・ジン・ウォッカと4種類もあることだ。飲んでみればわかる通り、それぞれ味わいは全く異なる。なぜだろうか。

グレーンスピリッツと焼酎の違い

 グレーンウイスキー、多くのジン、ウォッカはグレーンスピリッツから更なる行程を経ることでできる。まずはグレーンスピリッツと焼酎の違いについて検討してみる。両者ともざっくりとした製造過程は以下のようである。    

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ここでグレーンスピリッツと焼酎を大きく分けるのは、赤字で書かれた「糖化」の過程にある。原料となる穀物などはブランデーなどの原料に用いる果実のように甘くない。つまりグルコースなどの糖分が含まれない。原料に含まれるデンプンを糖化してからじゃないとアルコール発酵ができないのである。グレーンスピリッツでは、原料となる穀物に大麦麦芽(わずかに発芽し、デンプンが糖化したもの)を混ぜることによってアルコール発酵を行えるようにする。これに対し、焼酎は原料に麴を加えることでデンプンを糖化している。

 蒸留酒というより醸造酒の話になってしまうが、ブランデー(の原料となるワインなど)ように糖化せずとも原料自体で発酵可能なものを用いる発酵を単発酵と呼び、グレーンスピリッツのように一度原料を糖化して、それを発酵させることを単行複発酵と呼ぶ。醸造酒ではビールなどがこれにあたる。これに対して焼酎は糖化と発酵を同時に同じ槽の中で行う。これを並行複発酵と呼び、醸造酒では日本酒がこれを用いている。すなわち、麴を用いて同時に糖化と発酵を行うのは日本独特の手法と言える。

焼酎

 紹介するどの蒸留酒に関しても造詣が深いなんて言えるレベルには達していないが、

特に焼酎に関してはほとんど知らないので簡単になってしまうことをご容赦いただきたい。特に、ウォッカと並んで原料が多種多様にあり、代表的なものは米・麦・イモであるけれども、そば、牛乳、シソとか何から何まで糖化できるものは全て使い尽くしてるんじゃないかってレベルで色んな種類がある。

甲類焼酎

 連続式蒸留機で蒸留を行っているものである。

乙類焼酎

 単式蒸留器で蒸留を行っているものである。単式のため、より原料の個性が強く出やすい。連続式と単式、一見文字面で見ると単式の方がしょぼい感じに見えるためか、乙類焼酎は本格焼酎とも呼ぶ。本格焼酎という名前をつけるだけあって、ウイスキーのように木樽で長期熟成するものも多い。

ウォッカ

 東欧、北欧、中欧周辺でよく造られている酒。ウォッカ蒸留酒の中でも最も味と香りに特徴がない。その要因は以下のような製造過程にある。

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連続蒸留機を用いて何回も蒸留すること、白樺の炭で濾過をすることで癖を取り除いているのだ。ロシアや東欧ではストレートで飲むことが多いようだ。シベリア鉄道に乗った時、ティーカップで水を出されたと思って飲んでみたらウォッカだった。アジア人だと思ってナメられていたのか、これが彼らにとって一般的なのかは知らんけど。

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 原産国以外では、ウォッカは高いアルコール度数で味や香りが薄い特徴を生かして、カクテルとして用いることが多い。味を崩さずに香りだけを加えることができるというカクテルの材料にもってこいなものとなるため、フレーバーが添加されたウォッカがたくさん存在する。

ジン

薬草などを用いるので元は薬として作られていたようだが、現在では酒として広く親しまれ、蒸留酒に詳しくない人でもジントニックマティーニなどで飲んだことがあるのではないだろうか。ボタニカル由来の苦味や爽やかさが特徴的である。3種類のジンを紹介するが、どれにも共通するのはジュニパーベリーというハーブが使われていることである。

ドライジン

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 ウォッカのように香料として添加するのではなく、グレーンスピリッツにジュニパーベリーやその他のボタニカルを浸漬して直接香気成分を抽出し、その後に再蒸留を行う方法を使って作られるのがドライジンである。蒸留は一般的に連続式蒸留機を用いる。ロンドンで作られるジンは基本このタイプであるため、ロンドンジンとかブリティッシュジンとか言われたりもする。 

 日本でも最近このタイプのジンがよく製造されている。ウイスキーブームで日本でもクラフトディスティラリーが立ち上げられるが、ウイスキーは製品として売り出すのに数年間熟成を必要とするために、その間運転資金を稼ぐために熟成を必要とせず、かつ手順としてウイスキーから遠く外れるものではないからという理由もあるのだろう。

ジュネヴァジン

 実はドライジンよりもジュネヴァジンの方が古くからあり、ジンの発祥である。発祥の地はオランダであり、そのためオランダジンと呼ばれたりもする。基本的にはドライジンと製造過程は変わらないが、ドライジンと違い単式蒸留器を使って蒸留される。そのため、より個性的な味わいになる。

シュタインヘーガー

 ドイツで作られるジンであるため、ドイツジンとも呼ばれる。この由来はオランダ発祥のジュネヴァジンから派生したものではなく、ドイツ独自に生まれたものであり、その生い立ちはどちらかというとシュナップスにある。(シュナップスはドイツで15世紀頃から生まれ親しまれている蒸留酒だが、その定義はかなり広く今回の説明では省いた。)グレーンスピリッツにジュニパーベリーを漬け込む方法ではなく、直接生のジュニパーベリーを糖化発酵させて、ジュニパーベリーの蒸留酒を作り、それとグレーンスピリッツを混ぜて再蒸留することによって作るのがシュタインヘーガーである。このため、ジュニパーベリーの香りが良く活かされたジンとなるし、ドライジンなどのような刺激的な強い香りではなく、控えめで滑らかな香りになる。

 

 

ここまでで焼酎、ウォッカ、ジンについてほんの軽くではあるが紹介してきた。5000字を超えて長く読みづらいものとなってしまったので、次回に続く(かどうかは気分次第)

 

 

 

 

 

 

 

パンバス見て。

うまくネタバレを隠すように上手に勧めるスキルはないので、ただただ裏紙に擲り書き。本当にとにかく見て。見てほしい。それだけ。だから書きなぐったけど、別に読む必要はない。読む前に、見てくれ。

 

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 映画館で映画を見ること自体自分にとってはわりと珍しい。のにわざわざイオンシネマ(片田舎にしかない)にまで足を運んで新作の邦画を観に行ったのは、元乃木坂46深川麻衣さんと、ハイローやら『漫画みたいにいかない』やらで好きになっていつの間にかANNまで聴くようになった三代目J Soul Brothers山下健二郎さんが出演しているからという、極めて俗な理由だった。けれど映画館を出る頃には、俳優がどうとかじゃなく、あぁ。良い映画を観たなぁという気持ちになれたので、少なくとも知り合いの人間には観てもらいたい。

 

俳優について

 俳優がどうとかじゃなくと言っておきながらも、観に行ったきっかけなのでやはり注目してしまう。

 

 壮大なスケールでもなければ急激な展開があるわけでもないし、明確な答えも明示しないこの映画は、下手な作り方や演じ方をするときっととんでもなく退屈なものになるんだろうなぁと、当然映画を作ったこともなければ、あんまり数多く見てきたわけでもない自分でも分かる。それでも約2時間、日常に寄り添うリアルな映画を退屈もせずに見れたのには、一つに深川麻衣さんの演技にあると思う。

 

 アニメみたいに心情を吐露するようなナレーションもないし、変わった恋愛観(と言いつつ誰しも何となく思わないでもない、と思うんだけど)を持ち何を考えてるのか分かりづらいふみだけど「変わり者」になりすぎないのは、リアクション一つ一つの目線から感情が伝わってくるからだ。分かりやすすぎるくらいコミカルにリアクションをされたら、淡々と心地いいペースで進むストーリーの邪魔になっていただろう。特に、最初に居酒屋でたもつの話を聞いている時の、相手にはバレないくらいに動揺してる感、凄かったです。あと、こんなこと言っちゃったらもう後に幾ら書き連ねても説得力も何もなくなっちゃうんだけど、仕事終わりにパンをもぐもぐしながらぼんやり営業所で洗車されているバスを眺めるあんな顔の女がいたら、もうそれだけで最強じゃない???画力が強すぎる。

 

 たもつを演じる山下健二郎さんの演技も凄く良かった。自分の中では、ハイローのダン・漫画みたいにいかないの荒巻といった、コミカルで、人情に厚くて、基本バカ。という役柄の印象しかなかった山下さん。似たベクトルではあるんだけど、この映画ではどこか憎めなくて、一途で、時折バカ。これは山下さんの良さが最大限出つつ、映画の良さも最大限引き出している。いや、だって、たもつ、冷静に結構ヤバい奴じゃん??こんな役です。って文章で書こうと思って色々書き出してみたら、相当なクソサイコパス男だなってなったんだけど、全然そんな感じの印象を映画から受けないのは配役の妙という奴。更に、ふみがたもつを好きな大きい要因にあるであろう、たもつのなんとなしに出る「孤独感」も山下さんが演じるからこそ、ジメッとしていないし、絶妙です。

 

市井ふみ

"私をずっと好きでいてもらえる自信もないし、ずっと好きでいられる自信もないの"と言うけど、言葉のウェイトは前者に大きくかけられているような、そんな印象。絵を諦めた理由は「自分じゃなきゃ描けないものなんて無い」と気づいてしまったから。特別な存在じゃないという意識は恋愛観に影響し、ずっと好きでいてもらえるような特別な存在じゃないと感じている。でも別に極端に自信がない人ってわけじゃないし、周りに比べて劣ってると思ってるような感じでもないってのが凄くリアルだと思う。自分は特別な人間じゃないし、それと同じように多分周りの人間もそう特別な人じゃないだろう、なのに何故ずっと好きでいるとか言えるのだろうか、と。漠然とそんな疑問を抱いていたふみだが、高校の同級生さとみや、初恋の相手たもつ、親密だったが最近は会っておらず動向の知らなかった、そんなに才能ある特別な人間でもないはずの彼らもまた、誰かにとって特別な人間になっている・誰かを特別に想っているということを知る。このことがふみを大きく動揺させる。こんなストーリー、こんな動揺、映画というスケールだと小さいのかもしれないけれど、細かい演出が、この動揺を観客にリアルに伝えてくる。

 

朝3時半に起きて出勤し夕方には退勤する、火曜日は定休日で、毎日緑内障の目薬を差すルーティン。たもつと再会し飲みに出かけると、飲めない酒を飲んでしまったり、差さなくてはならない目薬を差すのも忘れて妹に差してもらったりして(なんて脳に良いシーンなんだ!!全国の茂木健一郎スタンディングオベーション!!!)日常を崩される。妹にオシャレな服を見繕ってもらってさとみとたもつと会おうとするも、急な用事でたもつが来れなくなってしまったので、

たもつと2人で後日ドライブに行く時には同じコーディネート。言葉では、あるシーンまではあんまり好意を伝えないけど、行動は終始一貫してベタ惚れなの可愛いかよ。

トップスが同じだけでコーデは違いました.(2018/6/3 加筆修正).

 

湯浅たもつ

ふみはバスの車内でたもつに「寂しくありたい」と言う。たもつに好意を寄せるのは、彼がまさしく寂しい人に映るからかもしれない。本人は人に囲まれていたい、と言うし一途に元妻を想うものの...という感じ。劇中で印象的なバスの洗車シーンや、駄菓子屋跡の更地で立ち止まるシーン、実家も潰れて更地になっているとか色んなバックボーンを含めて、孤独で寂しいという印象を与えてくる。極め付けは、寝ているたもつを描こうとして中断しメモに書き残したふみの"Alone Again." Gilbert O'SullivanのAlone Again(Naturally)は、おそらく多くの人が一度耳にしたことがあるような有名な曲(私に取って、めぞん一刻で印象深いからってだけなんでしょうか)で、穏やかな曲調だが、歌詞はかなり寂しく孤独な男の物語。そんな歌の歌詞をたもつに当てはめているんだとしたら、ふみはなかなか残酷な女でやんす...

 

1回目見た時、パン屋の名前がNaturallyって全然気がつかなかった...(2018/6/3 加筆)

 

孤独の発明

観客の想像を大いに膨らませるコインランドリーのシーンで、ふみが多くの『孤独』にまつわる本が置かれた本棚から手に取ったのはポール・オースター著『孤独の発明』。自分もニューヨーク三部作読んで筆者の文の構成に惹かれ、高校生くらいの時にそれよりも初期の作品を読もうと思って手に取ったのだが、三部作とは打って変わって自叙伝的作品でとっちらかった文章だな...よくわからん。と放り出してしまった記憶。父という存在の芯の無さに、どんなに親しい人間にでも常に何かを演じていて本当の父とは一体何なのか。みたいなことを追いつづけて結局訳が分からなくなった!!みたいな話だったような気がする(読み手の理解力が欠如してるだけです)。 相手の本質を知るなんて...っていう話だとしたら、映画のエンディングにもまた、繫がってくる。ふみは、この本を読み、何を思ったのだろう。

 

映画の最後のセリフ、本質は、その人の日常のことで、ふみの朝の景色も、たもつのバスの洗車も、本人にとっては日常だけど互いには非日常で魅力的に見える。この本質を知って自分にとっても日常となってもなお、魅力的だと思えるのなら、という話なのかなと2回目を観て思った。それが付き合うとか結婚するとかは、また別の話として。(2018/6/3 加筆)

 

 

あぁ...擲り書いてるうちに、インプットされたあの素晴らしい映画が、自分の駄文によってどんどん陳腐なものに成り下がってアウトプットされてしまっているような気がしてきました。とにかく見てくれ。それだけだ。